大学の作品制作の主任教授が発表するコンサートと、「コンサート」という音楽発表形式に関する(もったいぶった話だが)レポート作成の関係もあり、しばらくぶりに東京のコンサート会場に2回ほど足を運んでみた。本日はその寸評。
1.第23回<こどもたちへ> 11/10(土) 小雨 @紀尾井ホール
今回で23回目を迎える日本人作曲家による子供向けの新作ピアノ曲の自作自演演奏会に行ってみた(楽譜は、後援のKAWAI音楽出版より発売中)。
今年6月に急逝された羽田健太郎氏の追悼プログラムも組まれており、また作曲者自身が自作自演するというスリル(!?)も味わえるなど、なかなか興味深いコンサートであった。
前半は、芥川マスミ氏の作品含め前衛的なものが多く、やや興ざめ。
後半の方々の方が良心的なものが多く、楽しめた。
日本の「芸術音楽」が今後どのように変化していくのか、は終戦後以来、現代音楽の世界において、まだ明快な解が見つかっていない問題で、私も今更機能和声に基づく作曲を、というつもりはないのだが、日本的、あるいはアジア的な旋法的な作品まではともかく、子供向けの曲に前衛的な実験音楽をぶつけるのは、いかがなものか、と思う。
それにしても、三枝さん(三枝茂彰氏:TV等で活躍)、日本作曲家協議会会長、という重職に就かれているのですから、へたったポロシャツにGパン姿で舞台に上がられるのは、ちょっと考えた方がよいと思います(もしこれを読んだら、是非ご一考下さい)。
後半の方々の作品を収録した2007年版のNo.2の楽譜のみを会場で買い求め、早々に帰宅。
2.第26回作曲作品展(国立音楽大学) 11/23(金) 晴れ
国立音楽大学の現役学生の作品を拝聴。完全な現代音楽のため、一般の人は長時間の聴取に耐えないだろう。
学内発表会ではあるが、一般に公開されているものの、上述の理由から関係者以外は基本的に皆無(と思う)。大学の教授連やご家族、後輩や同級生たちばかりのなかに1人で紛れ込んで聞いていたが(入場料:500円)、やや場違いな感じであった。
まずは、この点について言及したい。
聴衆が関係者のみで固められていること、これは作曲のみならず、演奏の方も同様な状況である。ごく一部の有名どころをのぞき、こうしたプロを目指すハイアマチュアのコンサート会場に一般の人がちょっと顔を出すことを拒絶するような雰囲気がある。本当はもっと一般の人が気楽に聞きに行ければよいのだが、昨今クラシックのコンサートに有名人でもないのにわざわざ足を運ぶような酔狂な人は少ない。このためか、逆に上記のような雰囲気を関係者が醸し出してしまうのだ。どうしていったらよいのか、はまだ私にもわからない。今後大学へのレポートの中でじっくり考察してみたいと思う。
さて作品だが、どの作品も大変高度な技巧を凝らしており、すばらしかった。後世に残るかどうかは運次第だが、みなさんの今後の活躍に期待したい。
作品の寸評を下記に。
1)「黛玉葬花」:島 聡子作曲
中国の楽器(二胡、古箏、琵琶(月琴と思うが...))とAltoによる紅楼夢を歌詞とした曲。律の旋法にのせた明瞭なメロディーが中国の楽器類とよくマッチしており、また中国的に突発的に現れる旋法外の半音で旋法音に解決(下降導音とでも言おうか?)する旋律をうまく取り入れていた。しかし、ベルカントでは中国語の発音が全く聞き取れず(歌手が中国語を知らないためか?)、歌詞カードなしでは意味がわからなかった。また、古箏や月琴のアルペジオ(じゃら〜んと弾くこと)は、後述のハープの場合と同じで、やや使いすぎで興ざめ。こうしたあたりに、改善すべき点を見いだした。
2)「揺籃 〜ゆりかご〜」:金崎 萌作曲
大変好きなタイプの音楽で楽しめたが、ネタがばれてしまう(自分も気を付けなければ...)。Debussy(Sonata:Flute、Viola、Harpのための)と武満 徹(Quatrain:原曲はスコアが市販されておらずレンタルしかできないため、おそらくは楽譜が市販されているTashiのために独奏者部分を独立させたQuatrain IIの方であろう)の影響は聞いていてほほえましくなるようだった。ただ、そこまで同じような響きを取り込むのであれば、もっと一層「引用」するまで明確にやった方がよかったのではないか、と思われた。ゴングの使い方は、実際に演奏を見てみて、非常に参考になった(上述のQuatrainで使われている音の使い方が、CDだけではよく飲み込めていなかったため)。また、Flute、Viola、Harpの組み合わせは、他の方にも見受けられたが、Harpのややくぐもった音色と、Viola(これもViolinと比較するとややくぐもったような艶がある)とFlute(息の音に基づく倍音成分が特徴)とがうまくマッチするためであろう。その意味ではDebussyの選択は全く正しかったことになる。
3−4はあまり興味なし
5)「Quintetto per fiati」:中村匡宏作曲
この人は、作曲科ではなくピアノ科であろうか?4)と7)の際にピアニストとして参加しており、演奏は大変うまかった。曲はどのような背景を持って作られたのかはわからなかったが(12音技法?セリエリズム?)、5つの管楽器の使い方がうまく、それぞれの楽器の特徴を引き出すことに成功していたように思う。
6−8はあまり興味なし
9)「構築への習作 小品1.斜方切頂立方八面体」:挟間美帆作曲
舞台上にHarp、Clarinetの2つの楽器と女声2名、また会場側に女声4名を配置した構成。上記でHarpとFlute、Violaとの組み合わせについて言及したが、彼女はClarinetとの組み合わせを選択、しかし、この組み合わせも非常にうまくマッチしており、両者の特性をうまく使っていた。また、女声を会場側にも配置する構成は、取り立てて目新しいことではないが、会場全体が作品で包み込まれるような効果を発揮しており、成功していたと思う。全体的には歌詞のない「A-」や「U-」であったが、後半に「言葉」を発声していたが、これは意味が聞き取れず、意図が確認できなかった。1)でも指摘したが、「言葉」を聞き取らせる必要があるのか、無いのか、それを聴衆に理解させる必要があるのか、無いのか、こうした問題は、もう少し考えておく必要があると思われた。
国立音大の学生がどのような方向を向いているのかは、今回の発表会でおぼろげにつかむことができた。同じような意味で東京芸大の学生の音楽にも興味がわいてきた。機会があれば、聞いてみたいと思う。